美しい風景の地で暮らせる地方社会を作ることが果たして地域を支えることに繋がるのか。
こんにちは。
いなぴかりです。
コミュニティナースのマネタイズについて考えてちょこっと実践していることを書いています。
以前に、「美しい里山」と書いたけれど、今日は別の視点で書いてみたいと思います。
私が言うまでもなく、
様々な形で地方への積極的な人の流れを作り出してくれている制度は、たくさんある。
けど、ただ地方里山に来ても、暮らし方が今のスタイルならば、
やっぱり里山の風景自体は、葛や藤に覆われた雑木林でしかなく
荒廃した景色が点在するだけになる。
里山暮らしの人は、
何を生業にして生活していて
どれくらい年収を稼いで
何にどれくらい投資して(家の修繕費とかね)
どれくらいの金額を生活費として賄っていて
どれくらい貯金して
田畑や山を週何回、何時間使って管理して
家の周囲や庭木を週どれくらい管理して
それを一人で管理しているのか
それとも家族と分担で家仕事をしているのか
親族が週末やってきて管理しているのか
そういったことを知らないと
美しい里山での暮らしを実現しようとは思えないのではないかと思う。
それに、
その里山の家を維持管理しているのは
長男や長女や、その家、土地を守ってくれと親族に頼まれた者だ。
その方たちも、もう70代。
3世帯、4世帯で暮らしているという世帯は少ない。
60~70代の方たちが住んでいるだけ、あるいは老親と暮らしているということが多い。
加えて、2世帯住宅や同敷地内で暮らしていても、収入目的で兼業農家をしている方なんて、調べていったら多分数パーセントしかいないと思う。
やっても、家庭菜園程度だ。
もしも、点在するとはいえ一反分(300坪)の農地があったら、おそらく手に負えない。
土日は、子供の部活や保育園の行事で潰れるし、
平日だって、朝は早く、退勤時間きっかりに帰っても18時や19時台だという人も結構多いだろうし、
年収は増えることはなく減る一方だから、がっつり共働きしないと生活が不安だったり、苦しかったりする。
毎日とは言わないまでも、週に2回田畑にかける時間も心身の余力もない。
トラクターを買い替えるならば、自家用車を買い替えるか自家用車の維持管理のために残しておきたいし、稲を刈るコンバインも田植え機も出費だし、維持管理が必要だ。
軽トラも必要だし、軽トラなしで稲刈りするにしても、脱穀前の袋詰めが必要で、60㎏にもなる袋を一人では担ぎ続けられないから、家族や親類の協力が必要だ。
国民年金よりも社会保険のほうがいいし、老後心配が少し緩和される気がする。
60代、70代の親も愛しい我が子に言っただろう。
「外に働きに出たほうがいい。」
「農業収入なんて、機械代で終わっちゃうから。」
「米や野菜の収入があった時しかお金が入らないんだよ。毎月お給料をもらえるわけじゃないんだ。」
「幸せになってほしい。」「安定した生活を送ってほしい。」「農業で苦労するのは目に見えているから、仕事に専念したほうが楽なんだよ。」
こうして将来を託された愛すべき子供たちは、それなりの学歴と専門性と里山暮らしで経験した不便による不満を携えて都市に出た。
そうして多くの兼業農家は、次世代に農業を継がせることなく、廃業あるいは、専業農家としてその土地で大規模農業を行う方々に田畑を委託していくことになる。
あるいは、耕作を放棄する(きれいに整備している方もいるし、それが難しい方もいる)。
だから、今の里山や農村の風景を支えてくれている方々の暮らしを支え続けたとしても、あと10年~20年保てるのが関の山だと、私は思っている。
これは、私自身のことでもあるし、私が住んでいる周囲のことでもある。
里山の人たちは、美しい風景の地で暮らすようにと家族や脈々と続いてきたコミュニティから教えられてきたのだろうか。
そうではなくて。
結果的に、住まい方が美しかったのではないだろうか。
「美しい風景の地で暮らす」というのは、よそから来た者の物差しなのではないか。
交通が不便で、必要な物があっても手に入れるだけの金銭的ゆとりがなくて、たばこの葉っぱや木材や養蚕で、その時代その時代をなんとかこなしてきた。
あるいは、高度経済成長期以降、秋の収穫を終えると、都会へ出稼ぎに行き、春が来たら農業をするために家に戻るくらしを続けてきた。
もともと物が少なくて、壊れたら修繕して暮らしてきた。
物を修理することが身近だった。
100年越えの田植え船とかえびらかごや背負子、はしごとか糸巻きとかざくざくと出てくるが、宝石や金の仏像は出てこない。
でも、冒頭の私の素朴な疑問の部分。
ここが少しでも明らかになれば、里山で暮らすことの可能性につい検討する材料となるのではないかと思う。
*農地については別の機会に書こうと思っています。
車で通りすがるだけの私が、里山の美しさに心奪われるのはあくまでも表面的なことである。
その美しさを作り出した背景を思うと、心が締め付けられる。
しかし、それはなにも里山だけではない。
都市には都市の、鄙びた美しさとそれだけの背景がある。
そしてそこには人の往来と一人一人の物語があるのだと思う。
その感覚は、私にとって大黒柱のように大切な部分になっている。
これを失くしたら、コミュニティへの興味も失っているかもしれない。
健康合宿のスタッフとして。前回の大失敗と今回への心持ち。
こんにちは。
コミュニティナースのマネタイズについて考えちょっとずつ実践しているいなぴかりです。
もうすぐ、楽しみにしている自然派医師主催の健康合宿があります。
初夏のさわやかな天候のもと行われるこの時期特有の「開いていく感覚」の健康合宿は、人気でもあります。
若葉がより茂るために葉を広げる感覚や生き物が生を広げていく微かな音を感じるような「開いていく感覚」。
私たち人間も、自然の一部として意識や身体を開いていく感覚を呼び覚まします。
暑い日々が続けばホタルがちらほら飛び始めるかもしれないので、より一層素敵な健康合宿となるでしょう。
全ては、自然次第。
そこも楽しむ。
自分たちの力の及ばない部分については、おおらかに楽しむという心持ってとっても大切だと思ういなぴかりです。
私が、コミュニティナースの研修中は、出発からすでに大雪笑。
どっさり降りました。
奈良の川上村で雪がしんしんと降る。
そこにいる自分。
この一つの点である自分。
家族から、住まいから遠く離れ、自分自身が一人になって、雪に隔てられたことで、私自身が、私自身の中で際立つ。
そんな感覚ってときめきます。
今回の健康合宿でも、みなさんにそのような感覚も経験してもらえたらいいなと思うのです。
健康とは、内なる自分を見つけることもまたひとつの答え。
わたしは、先生にお声がけいただいてから、ここ数年この健康合宿のスタッフとして毎回参加しています。
スタッフとしての役割は、皆さんがそれぞれ良かったと思える「場」をつくることです。
スタッフミーティングでのおしゃべりの中にある、日常の出来事からテーマ性のある部分と、先生が軸としたい部分を融合させて大まかな方向性を決めていきます。
と言っても、すでに先生の中のぶれない軸があり、合宿に参加される皆さんも、先生のお話やワークショップでの学びを得るためにいらっしゃいますので、目的が明確でサポートすることはほとんどありません。
皆さんの体調や「場」の雰囲気を遠めに観察して、それぞれの方が楽しく参加されているかをふんわりと見守ります。
実は、前回失敗したことがあり、今回は留意しようと思っています。
それは、開催側としての中立性を保てなかったことでした。
健康合宿の内容に偏りを出してしまったのです。
件の合宿は趣向を変えて、【先生に何でも聞いてみよう!】がテーマでした。
私は、スタッフリーダーを務めさせていただいたのですが、先生の話の主旨に反して偏った流れを生み出してしました。
というのは、私も参加した「裏歴史のお話し会」に参加されていた方々の参加が多かったために、そのようは色が強く出ていたのです。
陰謀論的な話の流れを変えることができませんでした。
これは失敗でした。
「場」の失敗をしてしまったいなぴかり...
元々先生は、小児科を専門としてきた医師です。
今は、里山での地域医療を展開しながら、自然に沿った農的暮らしを実践しています。
特に陰謀論者でもなんでもなく、専門分野であるウイルス細菌学の知見を実生活にも応用することの重要性を広めながら、自らの生活にも取り入れている医師です。
先生の活動を目にして、講演会のきっかけとなった主催者が、少しスピリチュアル寄りだったため、スピリチュアル系のママさんたちの流れが目立った時期があり、その流れがあるのでした。
スピリチュアル系ママさんがダメと書きたいわけではありません。
スピリチュアル系ママさんたちは、勉強熱心な方が多く、さまざまな分野に対するアンテナが高いのです。
それは、福島第一原発事故の体験が大きく関係していると感じています。
原発事故後の対応や子供への影響、これからへの希望と不安の葛藤を今もまだ身を以て体験し続けている土地柄です。
家族の健康を守る主婦としては自然派医師として活動している先生の実践は参考にしたいですし、なによりも精神的な支えになっている部分があるのだと思います。
そう考える私自身が、一人の主婦としてそのような効力感を得て、日々を暮らしています。
だからといって、依存するのは勘違いだし、カリスマとして持ち上げるのも違う。
一人ひとりが、悩んだり葛藤しながらも、自律的・自立的に暮らしを営むことを先生自身も伝えています。
しかしながら、その抑えができていなかったために偏った進行をしてしまった自分…
再度チャンスを与えてくださった先生方に感謝し、
みんなで作る、それぞれが良かったと思える合宿を目指したいと思います。
新緑と里山の用の美
こんにちは、いなぴかりです。
コミュニティナースでのマネタイズについて日々考え実践しています。
記事が延び延びになってしまいました。
長かったゴーーーーーーーールデン ウィーーーーーークの後半から
お天気に恵まれていますね!
太陽と若葉と田んぼと鳥の声、花の美しさ。
5月らしい美しい季節を満喫しています。
田舎の良さは、四季折々の美しさを愛でることができることですね。
当然と言われればそれまでですが、この当然の自然の織り成す美さの法則の中で人もまた暮らしを営み命をつなげてきた。
春は特にそのような美しさの一部であることを体感することができる季節です。
里山は、喜びで満ちています。
ウグイスやハトなどの鳥のさえずり、野の花の美しさはもとより、
日当たり良く、風のない道路の縁石まで手押し車で集まって
井戸端会議を繰り広げるご婦人たち。
田植えの準備、田植え後の水の管理にいそしむお父さんたち。
そんな姿を見かけます。
里山の暮らしは美しく手入れされていて、
田畑の仕事以外に、山に入ったり、庭木の手入れをしていたり、
細やかに良く動き、在るものを丁寧に生かし整えることを自然と行っている、その暮らし方に本当に憧れます。
簡素であり質素。
簡素であり質素に暮らしを営むことが、「用の美」をより一層洗練させている。
たとえば、納屋の壁に掛けた木製の年代物の木の梯子。
納屋の周りの草がよく刈られ、すっきりした空間に土壁の白が際立ち、まるで床の間のような様子を作り出しているのですが、そこに立て掛けられた梯子は、一輪の花のような佇まいを持って置かれている。
里山にはそのような用の美を持ち合わせた暮らしがあちこちに見られるのです。
なぜ、わたしたちはそのような暮らしを捨ててきたのか。
地域の大規模農家さんに任せている我が家の田畑のことが頭の隅にちらつきながら、里山の美しさに心が躍ります。
この美しさを守り育んできたそれぞれの地域の人々。
可能な限り長くその暮らしを続けていけるような暮らしのサポートをしたい。
おこがましい考えだと思いますが、茶の道に通じるような暮らしのさまは、わたしにとってずっと触れていたいものなのです。
SNSでのつながりを主流としたコミュニティナース活動
こんにちは、いなぴかりです。
コミュニティナースとしての自分の失敗や小さな成功から、コミュニティナースのマネタイズについて考えています。
昨日は、子供の宿題を見つつブログを書いていたのですが、
ダメですね(;'∀')
文章がおかしい。
気を付けたいと思います。
さて、今回はコミュニティ分類の3つ目にありました
★SNS等のネットワークを介して、その地域の共同体とつながる他地域、多地域の個人との共同体。「関係人口」のような関わり方。
例:ある人物が企画している別地域での活動のファン、特定の地域で開催しているイベントのファン、活動に共感してつながり続ける全国の仲間をつなぐSNSやZOOMなどのネットワーク上のコミュニティ。
この部分での私の活動についてお話ししたいと思います。
矢田さんの「コミュニティナース」の活動を知ったのは、2期の皆さんが受講を終えたレポートを拝見した頃です。
それまで、わたしは地元で個人的にコミュニティ作りをしている人たちに会いまくり、活動の方法や意図、目的、運営方法などを側で見て回りました。
特に医療従事者という括りは持たなかったのですが、
参加して体験する条件として、
★SNS上でたくさんのファンを持つ人。
★でも、地元で何らかの活動をしている人。
★SNSを積極的に活用し交流している人たち(コミュニティ)であること。
を意識して参加させていただきました。
その中で最も学びになった方々に共通していることは....
◇ダブルワーク、トリプルワークの一つとしてSNSを積極活用したイベントをしていること
◇イベントには遠方からでも人が来ること(コンセプトがしっかりしている?)
◇その方のフォロワーがたくさんいること
今でいうところのインフルエンサーというやつなのかな。
◇イベントが興味深い→次も実際に会いたいと思わせるし期待を裏切らない
そして、なんといっても面白いほど共通していたのが…
◇わくわくする気持ちになること。
「楽しみ!」とか「楽しい!」を創造して共にうれしい気持ちになれること。
もう、これに尽きます。
楽しい!うれしい!のすごいところは、
「次も行きたい(生きたい)!」という気持ちを持続させつつ
日々の暮らしを営めること。
で、
そんなSNS→リアルでのコミュニティにコミュニティナースとして呼ばれる機会に恵まれるようになりました。
目的は、ファシリテーターとしての役割です。
私は、自然派コミュニティナースを標榜しています。
なので、自然派なママさんや女性のファンが多いコミュニティでのお茶会やお話し会に呼ばれます。
しかも、主にお隣の県で呼ばれます(笑)。
参加者も、その地域に限定されておらず近隣県の方はもちろん、
首都圏からもイベントに参加する方がいるのが面白い。
なので、「SNS」→「リアルでのお付き合い」→「SNSでやり取り」→「リアルでのお付き合い」の無限ループで不思議と親しい人が増えていくというのも面白いところ。
さてコミュニティーナースとしての私の役割ですが、
そのコミュニティが「自然派」に傾倒しすぎて極端にならないようにという役割です。
適切な現代医学に答えを求める時があっても良いことや
アンチ西洋医学にならないような言葉かけをしていきます。
そして、何よりも自分自身やご家族への健康に対して、
熱心でまじめに取り組もうとする姿勢をしっかりと受け止め、讃え、肯定します。
程よいバランスの上で、健康に対する姿勢をポジティブな状態にキープできるように
関わることを心がけています。
というわけで、
わたしのことを信頼してくれるファンも増えましたww←盛ってる
では、マネタイズの部分ではどのなのかですが、
私もファンである方々のイベントに参加するので、参加費を払います。
高くても6000円くらいで(ランチつき)、イベンターというかインフルエンサーとのおしゃべり付きなのでむしろお得と思っています。
何と言っても、楽しかった余韻に浸って帰路の運転ができるのもいい。
でも、なんと!
2018年夏は、封筒に入った交通費を頂きまして、びっくり!
その後も、ランチをママさんコミュニティが負担してくださったり。
役割として認めてもらえたことがとても嬉しかったです。
*もちろん、大好きなイベンターの方の企画だったので私としては支払うのが当たり前だしまして交通費を頂くなんて、遠慮したのですが「来てもらうとお茶会がスッキリするし、安心感があるので、受け取って。」と言われ素直に頂きました。
で、私のまとめ。
★このイベントオプション型コミュニティナースは一番やりやすいかな。
★自分の興味のある健康分野に関われるのこと。
★好きなイベンターさんの企画に参加できるだけでなく、間近で企画の仕方や運営方法、SNSやブログの添削もしてもらえること。
★そのイベンターさんが私の活動(自然派コミュニティナース)を地域或いはそこから大きく成長したSNSネットワークを媒体にして紹介してくれること。
★休日、平日に関わらず単発の活動であるため、仕事等に影響しにくい。動きやすい。
★毎回、わくわくすること。楽しいこと。うれしいこと。
★上記から、金銭以上の価値を感じ、暮らしに張りや意欲が湧くこと。
というわけで、
このコミュニティはちょうどいいコミュニティナースができるのでした。
コミュニティナースが考える、コミュニティのタイプ分け
こんにちは、コミュニティナースのいなぴかりです。
今日は、久々に記事を書こうと思ったわけですが、
なんと令和なんですね!
新年号スタートの日です。
良い年号であったと振り返れるような年を重ねていきたいですね。
今日は、
コミュニティ色々あるよねっていうお話です。
コミュニティとは…
名〙 (community) 村落、都市、地方など、地域性と共同性という二つの要件を中心に構成されている社会のこと。特に地縁によって自然発生的に成立した基礎社会をいう。住民は同一の地域に居住して共通の社会観念、生活様式、伝統をもち、強い共同体意識がみられる。地域社会。共同体。
日本国語大辞典より
このコミュニティの意味の中で
「特に地縁によって自然発生的に成立した基礎社会」という点と、
「同一地域に居住して共通の社会観念、生活様式、伝統をもち、強い共同体意識がみられる。」
このふたつはコミュニティを見るときの素敵な視点になると思っています。
加えて、SNSというネットワーク。
これが、共同体の関係性を日常的につなぐツールとなったことから、
遠くにいてもその共同体とつながっていることがある、
そんなこともどんどん普通のことになってきています、
というわけで、
★地域での生活様式の中に成立している基礎的な社会。
例:その地域で、24時間365日生活している基盤としての社会のことなので、隣近所、班、役所で指定された私が利用するごみステーションの地域、みたいな。
★その地域において発達段階や何らかの共通項を持っていることで緩くつながる共同体。
例:子どもを介した学校つながり、地域のスポーツつながりなど
★SNS等のネットワークを介して、その地域の共同体とつながる他地域、多地域の個人との共同体。「関係人口」のような関わり方。
例:ある人物が企画している別地域での活動のファン、特定の地域で開催しているイベントのファン、活動に共感してつながり続ける全国の仲間をつなぐSNSやZOOMなどのネットワーク上のコミュニティ。
この3つに集約できるのかなと思います。
これはあくまでも私の中の物差しなのですが、
今動いている関わりがどの分類に入るのかを考えることは楽しい。
あたらしい分類が可能なのかを心に描くこともまた楽しい。
それぞれには、特徴があって、その特徴を掴んだ活動の法則というのも実はあったりするのではないかなと…
日々、そんなことを考えています。
もうちょっと深堀したものは、近いうちにアップしたいとおもいます。
次回は、上記でいうところの3つ目のつながりにおいてのコミュニティナース活動について記しまーす。
コミュニティナース歴❓
こんにちは、いなぴかりです。
前回は、コミュニティナースへの興味までお話ししました。
今回は、コミュニティナースのマネタイズについて記したいと思います。
そもそも、「マネタイズ」って何?というところですが、
マネタイズとは、収益化のことを指します。
ビジネスモデルと言い換えると理解できる人も多いでしょう。このビジネスモデルとは、顧客を満足させながら企業が利益を得る、顧客も企業も両方が満足できるようにと考えるビジネスの構造のことです。
なので、はじめからマネタイズできることを目標に、コミュニティナース事業を考えることが大切だと思っています。
なので、マネタイズについて共に考えてくれるコミュニティパーソンと絡むことはとても大切だと思っているのです。
因みに、コミュニティパーソンとは、看護師や医療従事者ではないけれど地域コミュニティにかかわろうとしている人、関わっている人を指します。
コミュニティパーソンが、コミュニティナースのマネタイズを難しいと現時点で結論付けていたとしても、その必要性を理解してくれていることが言動からわかる方とかかわるようにしています。
今話題のコミュニティナースを利用しようとしない人であることはとても重要です。
コミュニティナースをうまく利用しようとする人とであっても、
WIN-WINの関係性ができるのであればいいと思います。
では、今日は私の失敗場面をひとつ。
それは、自宅から70㎞程度の距離にある場所でした。
高齢者住宅の先駆者として有名な方から、コミュニティナースについて伺いたいとご連絡を頂き早速、数時間コミュニティナースについての話をさせていただきました。
そこで、共に何か仕事ができないでしょうかというご提案をいただきました。
わたしも、この高齢者住宅に住んでいるコミュニティへの介入ができたらいいなと思ったのです。
しかし、距離も遠いし、訪問診療も訪問看護も、お隣にはデイサービスも入っているところで、医療介護福祉のサポートは十分ある。
どのようなことを望んでいるのかが見えませんでした。
それは、相手の方も同じ。コミュニティナースというコンセプトをどう生かそうか真剣に考えてくださっていることがよくわかりました。
双方の真摯さを考慮し、このコミュニティでどのようなニーズがあるのかを把握しよう!と思い、もうすこし通って話す機会を増やしました。
そんな中…廃校での活動ということが出てきたので、そこでの活動を拠点にしてはどうかと提案を頂きます。
地域の人たちと高齢者住宅のコミュニティの方々の交流の場というところです。
とってもいいご提案をいただいた!と私は舞い上がりました。
そこでは、レストランやカフェ、食品小売り等も行うというのです。
スタッフとして介入できたらいいなと思いました。
マネタイズとしては、こうです。
レストランやカフェ、小売りのスタッフとして働く→パート代を頂ける
地元の人は自家用車が主な交通手段でありかつ半径10㎞以内にスーパー等あるため、利用頻度が低い可能性がある。
高齢者住宅の方は、車を運転できない人が多く、周囲にその他の町やコミュニティが存在せず、立地として孤立感がある。そのため、地域の人が来るよりも高齢者住宅の方のほうが小売り、カフェを利用する率が高い可能性がある。
高齢者住宅にお住まいの方々の孤立や孤独を防ぐ役割を担える→生活に活気が出る。
メリットがあるし、スタッフして労働力としての対価が頂ける。
しかし、現実はそううまくいきませんでした。
まず、私を労働力のあるスタッフとして雇うことは考えていらっしゃいませんでした。
スタッフは、高齢者住宅にお住まいの皆さん。
その時給は、お小遣いを稼ぐ、または家賃の一部として稼ぐような仕組みを考えていらっしゃいました。
私は、完全ボランティアでの参加という形が判明してきたのです。
う~~~~~ん........
そういうことだったのね。
それでも、せっかく念願の活動ができるのであればと、往復140㎞になる交通費を出していただくことも検討して頂きました。
しかし、これも出しません。ということでした。
では、廃校のプロジェクトを会社化して行っていたので、合同出資者にしていただけませんか?と話しましたが、
これも「いつ潰れるかわからないから無理。」
というお返事。
そこに加えて、暮らしの相談保健室のメンバーになってほしいという話が浮上していたのですが、月一回の会議がありました。
私は、フルタイムのパートで働いていたので、相手方のある仕事上、あらかじめお休みの予定をいてても変更が多い仕事でしたので、そのことを含めてその方に相談しました。「早く仕事を辞めなさい。」というのがその方の返事でした。
月一回の会議は、恐ろしく喧々諤々としたものでした。
議論は「議論」なので、論破が目的。
論破に勝った人の意見が採用されているのではないか....という進め方。
議題内容への安全性や合理性は二の次なのでした。
看護師のカンファレンスでもあそこまで堕ちた会議はいまだかつて見たことも参加したこともありません。
これはこれは…
違う意味で、こころが引き始めました。
それでも、この方には大変魅力的なところがありました。
そのブルドーザーのような進め方も含めて、カリスマで、物事を把握するスピードと理解に長けた方で、斬新で鮮やか、どんなに喧々諤々あったとしても後腐れのない対応力には毎回本当に驚かされました。
見たことのないタイプの人間性は本当に魅力に溢れているのです。
ただ、その動きを見ていたいがために、私の好奇心が発動しました。
私の悪い癖です。
文句を言われても恐ろしい表現で罵られても、次の瞬間パッと忘れているかのような、見事な態度の切り替えは、「え?何々??どういう思いがあるとそこまで切り替えられるの?」と突っ込みたくなるほど。
でも、いくら好奇心を発動させても、それとは別に、交通費の話は進みませんし、スタッフにしてほしい話も、小売りから400円分の昼食をもっていっていいよというところから進みません。
そこで、わたしはこう結論づけました。
★カリスマとしては今話題の「コミュニティナース」とコラボしたかった。
★パート勤務の私は、融通が利き往復140㎞かかっても来てくれると思った。
★高齢者自身が働いて稼ぐことをそのコミュニティでは提唱しているため、働き盛りや若者の雇用促進よりも高齢者に焦点を当てた雇用であった。
★コミュニティナースになるべくお金を使わないという意図が感じられた。
★地理的に遠かった。
★ボランティアでの関わりを求められ、週3回くるように勧められた。
わたしは、コミュニティナースの貨幣価値はこれから付けられるのだという認識を持っていますが、その段階でパートとはいえフルタイムで働いていることを考慮して労働者として雇ってほしかったのです。
これ以上、粘って交渉してもちょっと埒が明かないと判断し、この場所を去ることにしました。
なので、今でも時々こ廃校プロジェクトの色々にかかわっている様々な活動をされている方のお話を伺いますとパートタイムや専業主婦の方にお声がけしているようです。
なるべくお金を掛けないで運営したいお気持ちは十分わかりますが、ちょっと都合がよすぎるシニアだったかなという思いが正直な気持ちです。
そうすると、そこの高齢者住宅の値段設定がそもそもどうなのかとか、だから結構儲けているよねとか、日本の将来や子育てしながら働く世代・子供たちについては考えていないのかなとか、質問したいことがいっぱいです。
ここでの体験は、その後の活動に大きく影響しているかもしれません。
はじめまして。
こんにちは。
看護師ですが求職中のいなぴかりです。
よろしくお願いいたします。
北関東に住んでいます。
小学生の子供たちと夫とおじじとおばばとおおおばばと住んでいます。
4代続く農家だったので、田んぼ、畑、森や植物などなどに心惹かれます。
特に、茨城県、福島県、栃木県にまたがる八溝山地に点々と存在する里山の暮らしに心惹かれ、お休みの日は、八溝山地の里山や時折出現する町を訪れ、四季と里山と人の暮らしをのぞいては、心ときめかせています。
看護師ですが、臨床研究の仕事をしている期間が長く、時々訪問看護をしていました。
両方の仕事を通じ、また里山の暮らしに日本人の丁寧な暮らしを見て、この風景を守りたいと思うようになりました。
また、過疎となる中で、淡々と日々を営むことで自然と里山の美しさを守ることになっているそれぞれの地域の人たちが、いつまでもその暮らしを続けていけるように支えるためには、地域の中に溶け込み時々話を聞いてくれる看護師さんみたいな存在が必要ではないかと思うようになりました。
そのうちだんだんと想像が膨らみ、実際に遠隔診療を目論む医師を探して系列の訪問看護と外来診療の手伝いをしつつ遠隔診療のプロジェクト支援をしていました。
今は、遠隔診療も診療ベースに乗ってきたのと新たなフェーズに移行したら何らかのお手伝いが出来たらいいかと思っておりますが、私が思い描く理想の看護師像への絡みが難しいので、再び一人で放浪を始めました。
そんな時に知ったのが、「コミュニティナース」です。
病院や診療所でもなく、行政や企業でもなく、自宅への訪問によるアプローチでもなく、でもそれらの要素を含みつつ、地域に存在する何となくナースだったよね的な看護師の在り方。
そうそう、これーーーーーーー!
ということで、コミュニティナースカンパニー、コミュニティナース研究所、コミュニティナース学びの共同体の代表矢田明子さんの提唱した「コミュニティナース」に学び始めたのでした。
そんな私が、コミュニティナースのマネタイズの行方をガチでリアルに記録していこうと思い、このブログを始めた次第です。
なぜ、マネタイズにこだわるのか?という点については、次回に記していきたいと思います。