コミュニティナースいなぴかりのお茶の時間

コミュニティナースとして活動するためのマネタイズへの挑戦

美しい風景の地で暮らせる地方社会を作ることが果たして地域を支えることに繋がるのか。

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こんにちは。

いなぴかりです。

コミュニティナースのマネタイズについて考えてちょこっと実践していることを書いています。

 

以前に、「美しい里山」と書いたけれど、今日は別の視点で書いてみたいと思います。

 

私が言うまでもなく、

様々な形で地方への積極的な人の流れを作り出してくれている制度は、たくさんある。

 

けど、ただ地方里山に来ても、暮らし方が今のスタイルならば、

やっぱり里山の風景自体は、葛や藤に覆われた雑木林でしかなく

荒廃した景色が点在するだけになる。

 

里山暮らしの人は、

何を生業にして生活していて

どれくらい年収を稼いで

何にどれくらい投資して(家の修繕費とかね)

どれくらいの金額を生活費として賄っていて

どれくらい貯金して

田畑や山を週何回、何時間使って管理して

家の周囲や庭木を週どれくらい管理して

それを一人で管理しているのか

それとも家族と分担で家仕事をしているのか

親族が週末やってきて管理しているのか

 

そういったことを知らないと

美しい里山での暮らしを実現しようとは思えないのではないかと思う。

 

それに、

その里山の家を維持管理しているのは

長男や長女や、その家、土地を守ってくれと親族に頼まれた者だ。

その方たちも、もう70代。

3世帯、4世帯で暮らしているという世帯は少ない。

60~70代の方たちが住んでいるだけ、あるいは老親と暮らしているということが多い。

加えて、2世帯住宅や同敷地内で暮らしていても、収入目的で兼業農家をしている方なんて、調べていったら多分数パーセントしかいないと思う。

やっても、家庭菜園程度だ。

もしも、点在するとはいえ一反分(300坪)の農地があったら、おそらく手に負えない。

土日は、子供の部活や保育園の行事で潰れるし、

平日だって、朝は早く、退勤時間きっかりに帰っても18時や19時台だという人も結構多いだろうし、

年収は増えることはなく減る一方だから、がっつり共働きしないと生活が不安だったり、苦しかったりする。

毎日とは言わないまでも、週に2回田畑にかける時間も心身の余力もない。

ラクターを買い替えるならば、自家用車を買い替えるか自家用車の維持管理のために残しておきたいし、稲を刈るコンバインも田植え機も出費だし、維持管理が必要だ。

軽トラも必要だし、軽トラなしで稲刈りするにしても、脱穀前の袋詰めが必要で、60㎏にもなる袋を一人では担ぎ続けられないから、家族や親類の協力が必要だ。

国民年金よりも社会保険のほうがいいし、老後心配が少し緩和される気がする。

 

60代、70代の親も愛しい我が子に言っただろう。

「外に働きに出たほうがいい。」

「農業収入なんて、機械代で終わっちゃうから。」

「米や野菜の収入があった時しかお金が入らないんだよ。毎月お給料をもらえるわけじゃないんだ。」

「幸せになってほしい。」「安定した生活を送ってほしい。」「農業で苦労するのは目に見えているから、仕事に専念したほうが楽なんだよ。」

こうして将来を託された愛すべき子供たちは、それなりの学歴と専門性と里山暮らしで経験した不便による不満を携えて都市に出た。

 

そうして多くの兼業農家は、次世代に農業を継がせることなく、廃業あるいは、専業農家としてその土地で大規模農業を行う方々に田畑を委託していくことになる。

あるいは、耕作を放棄する(きれいに整備している方もいるし、それが難しい方もいる)。

 

だから、今の里山や農村の風景を支えてくれている方々の暮らしを支え続けたとしても、あと10年~20年保てるのが関の山だと、私は思っている。

 

これは、私自身のことでもあるし、私が住んでいる周囲のことでもある。

 

里山の人たちは、美しい風景の地で暮らすようにと家族や脈々と続いてきたコミュニティから教えられてきたのだろうか。

そうではなくて。

結果的に、住まい方が美しかったのではないだろうか。

 

「美しい風景の地で暮らす」というのは、よそから来た者の物差しなのではないか。

 

交通が不便で、必要な物があっても手に入れるだけの金銭的ゆとりがなくて、たばこの葉っぱや木材や養蚕で、その時代その時代をなんとかこなしてきた。

あるいは、高度経済成長期以降、秋の収穫を終えると、都会へ出稼ぎに行き、春が来たら農業をするために家に戻るくらしを続けてきた。

 

もともと物が少なくて、壊れたら修繕して暮らしてきた。

物を修理することが身近だった。

100年越えの田植え船とかえびらかごや背負子、はしごとか糸巻きとかざくざくと出てくるが、宝石や金の仏像は出てこない。

 

でも、冒頭の私の素朴な疑問の部分。

ここが少しでも明らかになれば、里山で暮らすことの可能性につい検討する材料となるのではないかと思う。

*農地については別の機会に書こうと思っています。

 

車で通りすがるだけの私が、里山の美しさに心奪われるのはあくまでも表面的なことである。

その美しさを作り出した背景を思うと、心が締め付けられる。

しかし、それはなにも里山だけではない。

都市には都市の、鄙びた美しさとそれだけの背景がある。

そしてそこには人の往来と一人一人の物語があるのだと思う。

その感覚は、私にとって大黒柱のように大切な部分になっている。

これを失くしたら、コミュニティへの興味も失っているかもしれない。