新緑と里山の用の美
こんにちは、いなぴかりです。
コミュニティナースでのマネタイズについて日々考え実践しています。
記事が延び延びになってしまいました。
長かったゴーーーーーーーールデン ウィーーーーーークの後半から
お天気に恵まれていますね!
太陽と若葉と田んぼと鳥の声、花の美しさ。
5月らしい美しい季節を満喫しています。
田舎の良さは、四季折々の美しさを愛でることができることですね。
当然と言われればそれまでですが、この当然の自然の織り成す美さの法則の中で人もまた暮らしを営み命をつなげてきた。
春は特にそのような美しさの一部であることを体感することができる季節です。
里山は、喜びで満ちています。
ウグイスやハトなどの鳥のさえずり、野の花の美しさはもとより、
日当たり良く、風のない道路の縁石まで手押し車で集まって
井戸端会議を繰り広げるご婦人たち。
田植えの準備、田植え後の水の管理にいそしむお父さんたち。
そんな姿を見かけます。
里山の暮らしは美しく手入れされていて、
田畑の仕事以外に、山に入ったり、庭木の手入れをしていたり、
細やかに良く動き、在るものを丁寧に生かし整えることを自然と行っている、その暮らし方に本当に憧れます。
簡素であり質素。
簡素であり質素に暮らしを営むことが、「用の美」をより一層洗練させている。
たとえば、納屋の壁に掛けた木製の年代物の木の梯子。
納屋の周りの草がよく刈られ、すっきりした空間に土壁の白が際立ち、まるで床の間のような様子を作り出しているのですが、そこに立て掛けられた梯子は、一輪の花のような佇まいを持って置かれている。
里山にはそのような用の美を持ち合わせた暮らしがあちこちに見られるのです。
なぜ、わたしたちはそのような暮らしを捨ててきたのか。
地域の大規模農家さんに任せている我が家の田畑のことが頭の隅にちらつきながら、里山の美しさに心が躍ります。
この美しさを守り育んできたそれぞれの地域の人々。
可能な限り長くその暮らしを続けていけるような暮らしのサポートをしたい。
おこがましい考えだと思いますが、茶の道に通じるような暮らしのさまは、わたしにとってずっと触れていたいものなのです。